「ハワイに住む」を叶えた人びとにインタビューするこのシリーズ。今回は喉頭がんの手術後、療養を兼ねてよくハワイを訪れていたというつんく♂さんにお話をうかがう。家族と共に移住をしたのもご自身の健康を考えての決断だった。移住後のハワイでの生活を振り返っていただいた。
ハワイって、不思議だな。 時間の流れが違う。日本の24時間と、ハワイの24時間とは違う。 なんだかのんびりとゆったりとしていて「いい場所だな」といつも思います。 (つんく♂さん)
家族で一緒に過ごす時間が「当たり前」になった
今はハワイを生活の拠点にしながら、ひと月に数日は日本で仕事をするという生活をしています。ハワイでのんびりしていいですねってよく言われますけど、僕のハワイ生活、むっちゃ忙しいんですよ(笑)。毎日子どもたちを学校や習い事に車で送り迎えして、合間にガソリン入れたり洗車したり、そうしていると自宅のどっかが壊れるんです。やれ下水が詰まったとか、食洗機が動かなくなったとか。出かける用事がある時に限って業者がなかなか来ない。さんざん気を揉んでやっと来たと思ったら、さっと5分くらい見て「これだと道具が足りないから、明日また来る」って。「ちょっと待たんかい!」とガックリですよ(笑)。
季節によりますけど、だいたい日の出前には目覚めます。子どもたちが起き出すまでの時間はメールチェックなど仕事時間。朝食のあと子どもたちを学校に送っていくのは僕の仕事です。子どもたちが学校に行っている間も日々の雑務が目白押し。気づいたらもうお迎えの時間で、そのあとは習い事に付き添ったり、一緒に釣りや遊びに出かけたり。あっという間に1 日が終わります。とは言っても僕が日本で仕事している期間、妻はこれを一人で、しかも炊事洗濯をプラスして全部やるわけですから頭が下がります。
でも、家族と共に外国で奮闘する日々がなぜか妙に心地いい。それはハワイという土地のせいもあるのでしょう。僕も家族もリラックスして、これまで以上に色々な話ができるようになりました。皆で一緒に過ごす時間が「当たり前」になったというのは大きな変化だと思います。最近はハワイの空港に着くと「帰ってきたな」と感じるようになりました。
仕事人生で初めての長期休暇で訪れたハワイ
そもそも日本では、シャ乱Qでの活動と平行してモーニング娘。などの「ハロー!プロジェクト」のプロデュースをスタート。92 年にデビューして以来、仕事一筋で突っ走ってきました。いつもいつも「分刻み」で曲作りに追われて、食べ物から衣類に至るまで全てはマネージャーやスタッフが用意するので、子どもができるあたりまでスーパーに行くこともなかったですね。
仕事でハワイに来たことはあったけどなぜかあまり記憶がない。それはそうですよね。飛行機に乗るギリギリまで仕事して、1 泊か2泊でロケしたらすぐ帰国。もちろん機内では爆睡。ハワイを楽しむ余裕なんてなかったです。
そんな仕事一辺倒の生活の中、知人の紹介で妻と出会い、2006年に結婚。2年後に双子を授かり、その3年後に次女が誕生。5人家族となり、たまには家族で過ごす時間を持ちたいと仕事人生で初めて2週間以上の休みを取って訪れたのがハワイでした。「いい場所だな」と実感しましたね。何だか時間の流れが違う。東京の24 時間とハワイの24 時間って、同じには思えないですよね。ゆっくりと時間が流れていて、とてものんびりできたのを憶えています。
その頃は休み慣れしていないので「仕事こんなに休んで大丈夫なんやろか」と心配になったほどでした。近くのホールフーズや土曜日朝のKCC のファーマーズマーケットに行きました。ハワイで暇を持て余していたのでしょう。すごく楽しくて、KCCでは子どもたち以上にはしゃいでしまいました(笑)
たまに窓から見える虹の素晴らしさには 毎回、家族で感動しています。
何度も見ているのに、きれいな虹を見ると元気が出る。(つんく♂さん)
ハワイ移住は誰が言い出すともなく決まった
2014年に喉頭がんと診断。そのときはショックでしたが、仕事、家族を含め、今後の人生を考える良い契機になりました。毎年100曲以上作ってきた「ハロー! プロジェクト」のプロデュースからも離れることになり、少し時間ができて、これからは自身の身体、そして家族のことを第一にしようと決めました。それで、声帯摘出手術をした2か月後に、1か月ほど療養を兼ねてハワイに滞在しました。結局、移住を決める前に10回くらい訪れたと思います。病気になってからは「身体を休めること も仕事のうちだ」と思うようになり、意識して休暇を取るようにしました。そのうち、ハワイに到着すると何か身体のスイッチが切り替わるような、そんな変化を感じるようになりました。安心するというか、「とりあえずハワイに着いた。まあ、あとは何とかなるやろ」って思えるんですよね。
移住を言い出したのは誰だったかな。ドラマみたいに、お父さんが「よし、みんなでハワイに住むぞ!」と宣言するような場面はありませんでした。いつの間にか、ハワイに住んでもいいんじゃないかって思うように。もちろん子どもの教育の心配はありました。ただ、日本に住んでる時から子ども達は遅かれ早かれ海外留学をするだろうと考えていたので、少し早くなっただけじゃない?みたいな感じではありましたね。
「2度目の人生」を手探りで頑張っている
実際に生活して驚いたこともたくさんありますよ。ホノルルのガソリンスタンドやコンビニには、ほとんどトイレが無いですね。あっても鍵がかかってる。銀行振り込みや引き落としが意外に普及していなくて、いまだに小切手文化なのにも戸惑いました。妻はよくスーパーのレジがなかなか進まないって言っています。たしかに、レジの店員さんがお客さんと話し込んだりしてますよね。
一方の僕たちもハワイで徐々に変化しています。10年前まですべての買い物はスタッフ任せだった僕が、ハワイではスーパーで野菜の質を吟味しながら、どこが安くて良いかを調べていますからね。水のボトルは要注意です!(笑)。観光エリアで2ドルで売っているお水が、少し離れたスーパーに行ったら24本で7ドル前後で売っているんですから。ワイキキで子どもが「喉渇いた~」って言い出しても買うタイミングを考えてしまいます。
海外の生活では毎日、何かハードルを乗り越えているようです。僕にとっては2度目の人生を手探りで頑張っている感覚。でも今は、大好きな家族がいつも一緒ですからね。すごく頑張れます。たまに僕が日本に行くときは妻と子どもたちが「お父さんいないんだからハワイで頑張ろう」って一致団結。ハワイのパワーは家族の絆も深めてくれています。
これからもハワイに住み、ハワイから日本を眺めていこうと思っています。一方で、ハワイにはまだ娯楽やエンタメを評価してお金を支払うという感覚が足りない気がします。ラスベガスなんかはエンタメが尊重されている好例ですよね。ハワイにも、観光客も住んでいる人も楽しめるエンタメがもっとあっていい。僕ですか? はい、僕もエンタメの部分でハワイの力になれればと思っています。もう少し生活に慣れてきたら、ですけどね(笑)