【"ハワイに住む"を叶えた人々】池端慎之介さんに特別インタビュー

【"ハワイに住む"を叶えた人々】池端慎之介さんに特別インタビュー

更新日 2019.08.26

「ピーター」の着ぐるみを脱いで自然体でいたいと思ったとき
まっさきに浮かんだのがハワイでした

池畑慎之介(いけはた・しんのすけ)さん
俳優・歌手・タレント。1952年、 大阪は上方舞の家元に生まれた。ピーターの芸名で 69年『夜と朝のあいだに』を発表し、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。黒澤明監 督の『乱』への出演をきっかけに池畑慎之介名義で役者の仕事も増え、さらにバラエティなど活躍の場を広げた。2018年、芸能生活50周年を機に、1年間の休養を宣言した。

 もちろん50年もピーターという芸名でやってきたから愛着はあるんですよ。 でも「ピーター!」とか「ピーちゃん」 だったのが、年齢を重ねたら「ピーター様」とかになってきて、なんだか気持ち悪くて(笑)。一回、お世話になった名前に「お疲れさん」してあげて、同時に少し休もうと休養宣言を出したのが2018年の5月でした。予想以上の反響に驚きましたけど、不思議と自分の中では落ち着いていました。だって、それまでがすごく忙しくて。このまま朽ち果ててしまうんじゃないかという危機感さえあったくらい。もう1年3ヶ月の休養宣言もしたし、ようやく自由になった。さて、どこ行こうと思ったら、パッと浮かんだんです。 「そうだ、ハワイにいこう」って。京都のCMみたいですけど (笑)、本当に真っ先に浮かびました。

  もともとハワイは大好きで別荘も購入していたくらい。年に何度も訪れていました。初めて来たのが1970年で私は17歳。雑誌『平凡』のグラビア撮影だったかな。2回目は橋幸夫ショーでしたから、どっちも時代を感じさせますよね。  
  
 私、15 歳くらいまで鹿児島の海がある土地に育ったから、ハワイのこの、山があって風が通り抜ける環境はすっと体に馴染みました。今もこの気候は居心地がいいです。途中、日本人の団体旅行が流行った時に少し離れた時期はありましたけど、ハワイとの繋がりは常にありましたね。今では人生の最期はハワイで迎えてもいいと思うくらい。 LAもNYもいいんだけど、今の自分には合わないんですよね。  
 

 今回も何も考えずにぼーと過ごそうと思ってたんだけど、仲間が50周年パーティーやってくれたり、お食事や ゴルフに呼んでくれたり、けっこう忙しいの。私、ゴルフの誘いは基本断らないので、スケジュール帳は休み中も真っ赤です(笑)。  


  67歳で、体はいたって元気。何もない日はウォーキングしていますし、サーフィンもします。今後はSUPに も挑戦したいです。パラセーリングもまだやってないから、やりたいですね。まだまだ遊びを極めたい。ヨーロッパでキャンピングカーで一人旅する計画もあったんですけど、それは周囲に危険だと止められました。笑っちゃうでしょ。  

 ハワイではシャンソン歌手に戻って公演するのも良いですね。エンタメを充実させたいという声をよく聞きます。それと私は日本では「家帰って手を洗ったら、まずコメを研ぐ」のが習慣なほど、自炊派。ハワイで小さい 料理屋さんでもできたら素敵ですね。 完全予約制で1日限定何組とかね。  


 やっぱりハワイという土地は、休養宣言する前から、自然体に戻れる場所だったんですよね。今回、長期滞在できるようになって改めて感じました。 ハワイに住んでハワイに貢献する。これは今の新たな目標ですね。ハワイの皆様、よろしくお願い申し上げます。



 

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