"ハワイに住む"を叶えた人々にインタビューするこのシリーズ。今回は、シリコンバレーエンジニアとしてアメリカ本土のIT企業にハワイからリモートワークで勤務している酒井潤さんにお話を伺いました。
1998年同志社大学神学部卒業。サッカー推薦で入学し、在学中は大学日本代表に選出。2001年の東アジア競技大会で金メダルを取得。2004年北陸先端科学技術大学院大学情報科学専攻修士卒業。2004年NTTドコモ入社。ドコモ在職中にE2ビザ取得を目指しハワイで起業。その後、2006年スタートアップの会社に転職するも2008年のリーマンショックでの倒産も経験。2009年に米国の日本企業NTTi3からオファー受けてアメリカに移住。以降シリコンバレーエンジニアとして2012年より米国Splunk, Inc、2023年よりCribl,Incに勤務。2022年には家族でサンフランシスコからハワイに移転し、現在フルリモートワークしつつ、YouTubeやUdemy講師などの副業でも活躍中。
酒井さん:
私は高校大学とサッカーひと筋で、大学在学中には大学日本代表に選出されて海外遠征も経験したり、U-21 2001年東アジア競技大会サッカー競技では金メダルを獲得したりと実績を出しました。
プロチームからの誘いもありましたが、サッカー選手として生きるのか?それ以外の道を選ぶのか?さまざまな可能性の中から、将来性のあるITの道を選ぶことに。サッカー漬けの毎日から一転、今度は北陸先端科学技術大学院大学で修士課程までコンピューターサイエンスを集中的に勉強し、新卒でNTTドコモに入社しました。
そのころから、将来的には海外で暮らしたいと思っていたんですが、新卒で入ったNTTドコモで受けたTOEICのテストでは3
NTTドコモ在職中にはE2ビザの取得を目指してハワイで起業もしつつ、同時にアメリカでのビザを取れる職探しも行いました。英語力がネイティブ並みでない自分でも入れる会社は?ということで日系企業の海外法人でのポジションに戦略的に狙いをつけて動きました。
結果的にはH1ーBビザ(専門職ビザ)を取れるポジションのオファーを受けて、アメリカ移住を実現しました。
当時のアメリカでは、東海岸ではサーバーの管理のポジション、西海岸ではウェブ管理のポジションが多いなど募集職種にも地域性があって面
日系企業のアメリカ法人で技術職としてオファーを受けてH1Bビザを取り、アメリカに移住してきたのが20代後半の話です。
ハワイに移住してきたのは2年前です。
サンフランシスコと比べて、やはりハワイは日本に近い分、
また、子供の教育のことも、ハワイ移住の理由の1つでした。
サンフランシスコは高学歴で教育熱心な親が多いため、
自分自身がサッカー一筋で、学生時代を過ごした後、
現在は、アメリカ本土の就業時間に合わせて、
その後夕方までは約2時間程度、副業に費やす時間です。副業として、YouTube動画の撮影や編集をしたり、Udemyの講師としてコンテンツを作ったり、個人としての新規事業のソフト開発を行ったりしています。
酒井さんのYouTube
シリコンバレーエンジニア酒井潤チャンネル - シリエン戦隊JUN TV
酒井さんのUdemy講座
コロナ前には往復約2時間の通勤時間をかけていましたが、
一時間あたりのバリューやクオリティーがハワイに来てからぐっと
ハワイに来たら、
現在は、エンジニアの方向けのコンテンツをメインとして、
技術の面だけで言えば、
少しでもそういったチャレンジに共感し、