ポール与那嶺(セントラル・パシフィックバンク取締役会長)× キーワード:ハワイ経済   「今のハワイ」を知る 5人のライフストーリーVo.3 ハワイ注目の人インタビュー集

ポール与那嶺(セントラル・パシフィックバンク取締役会長)× キーワード:ハワイ経済   「今のハワイ」を知る 5人のライフストーリーVo.3 ハワイ注目の人インタビュー集

更新日 2019.07.10


日系人のために設立されたハワイの銀行、セントラル・パシフィックバンクのトップに就任した日本生まれのポール与那嶺氏に、ハワイ経済の今についてインタビュー。ハワイを変える取り組みを構想中だ。 
 

日本の優れたノウハウを。もっとハワイに導入すべきその入り口を広げるのが 。私の役目だと思っています。(ポール与那嶺)

ポール与那嶺,セントラルパシフィックバンク

【プロフィール】
ポール与那嶺 セントラル・パシフィックバンク取締役会長。

1957年東京生まれ 。高校まで日本で過ごしサンフランシスコ大学経済学部を卒業。会計士として会計事務所ピート・マーウィック(現KPMG)に入社。KPMGコンサルティング社長、日立コンサルティング社長を経て2015年、 日本IBM社長、2018年、セントラル・パシフィック・ファイナルシャル・コーポレーション会長兼CEOおよび同社子会社であるセントラル・パシフィック・バンク取締役会長に就任。2004年にはホノルル市長の特別顧問として官民パートナーシップの推進に携わったこともある。米日カウンシル評議会役員。


 

 「いつか自分のルーツであるハワイに」の夢が叶う

 私の父は日本プロ野球界で初の外国人選手として活躍したウォーリー与那嶺です。父はハワイの日系2世で、外国人で雄一日本の野球殿堂入りも果たし、見た目には華々しい活躍でしたが、本人は苦労の連続でした。 アメリカ本土に行けばアジア人だと差別される。戦後まもなくの日本では「ヤンキー、ゴーホーム」です。外見は日本人なのに日本語をうまく話せないコンプレックスも大きかったと思います。

 
 私自身も、日本で生まれましたが、国籍はアメリカ人ですし、家庭でも学校(アメリカンスクール)でも英語という環境で育ちましたから、今でも日本語は苦手です(笑)。外見は日本人ですが、自分は日本とアメリカの間に存在しているという感覚が大きかった。そんな私と同じ位置にあるのが、ハワイだと思っています。地理的にも文化的にもそうですね。そのせいか、実は昔から「いつかは自分のルーツであるハワイに戻りたい」という思いが強かった。今回ハワイでの仕事をお受けして、長年の夢が叶った感覚でいます。日本のメガバンクからお誘いもあったのですが、迷うことなくハワイを選びました。

ハワイの鉄道(レール)計画成功の鍵は駅周辺の開発にあります

 セントラル ・ パシフィック ・ バンクは、戦後まだ融資を受けにくかった日系人のために、故ダニエル井上元上院議員などが中心となって設立した「日系人のための」銀行。私は今回の話をお受けするときに、ご夫人のアイリー・イノウエさんに連絡しました。

 
 私が銀行のCEOになることを相談すると、彼女は「Dan will be happy(夫もきっと喜ぶと思うわ)」と背中を押してくれました。今、ホノルルの空港には、ダニエル井上元上院議員の展示があり、その前に私の父ウォーリー与那嶺の展示もあります。今回のハワイ移住には大きな運命を感じています。

 
 さて、そのハワイですが、インフラが弱いですね。電力、水道、道路、鉄道、どれも苦戦しています。改善するノウハウはだれが持っているのか。それが日本です。駅周辺の開発に関しては、 日本は世界トップレベル。もっと日本のノウハウを導入するべきです。その入り口を案内するのが私の役目で、日本の投資家がもっとハワイに入ってきやすい環境を作りたい。それがハワイ経済の発展につながります。21駅できるレール計画はハワイを変えると私は思っています。失敗しないためにも、日本から学ぶべきです。

 
 合わせて、全米や世界を相手にできる企業を育てる必要があります。そのためにはベンチャーキャピタルがなくてはいけない。いきなりシリコンバレーとまでは言いませんが、より洗練されたビジネス環境を作る必要があります。そんなサポートこそ、我々金融機関の使命だと思っています。

※この記事は「ハワイに住む」マガジンVol.37(2019年4月15日発行号)から作成しています。

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