"ハワイに住む"を叶えた人々にインタビューするこのシリーズ。今回はマラソンやトライアスロンなどスポーツを楽しむ飯島寛子さんにお話を伺いました。
大学在学中にプロ・ウィンドサーファー飯島夏樹氏と出会う。2002年に夏樹氏の癌が発覚し、2004年に家族全員でハワイに移住し最期を見守る。現在はスタジオリムのDJや散骨クルーズのコーディネーターとして活躍中。
マラソンにトライアスロンハワイでスポーツが楽しい!
大自然と友人のおかげで昔の元気な自分に戻れた私
5月にホノルルトライアスロン(リレー)で2位になったんです。もちろん、ホノルルマラソンも走りました。今、とにかく走ることに夢中なんです。こんなに自分が元気になれるなんて、7年前にハワイに移住してきたときには考えられないことでした。
2004年、私、子供4人そして癌と闘病中の主人(プロウィンドサーファー飯島夏樹)と静かに最期の時を迎えるためにハワイに移住してきました。結婚式も長女の出産もハワイ(マウイ島)だったので、いつかは戻って来たいと思っていましたが、まさかこのような形での移住になるとは夢にも思っていませんでした。
大切な人を見送った後もハワイに住むことを決意
プロのウィンドサーファーとして世界各国を転戦し、現役引退後はグアムでマリンスポーツの会社を経営。すべてが順風満帆だった主人に癌が見つかったのは2002年。珍しい種類の肝臓がんで、移植すらできなかった彼が最後に家族と残りの時間を過ごすために選んだのが大好きなハワイでした。
主人の遺言は「ハワイのような多国籍文化の中でのびのびと子育てをしてほしい」ということでしたし、私自身「冬のない場所」に住みたかったので、主人が逝った後もハワイで子供4人と生きる決意をしました。
友人たちと「NPO Hug Hawaii」を立ち上げ
最初の3年間は、主人のいない喪失感とすべてを自分がやらなければいけない重圧感に押しつぶされそうになり、泣いてストレスで吐いてしまう日もありました。
ただ、ハワイで素晴しい人たちとの出会いに恵まれ、徐々に孤独感を克服。特に同じ経験を持つ友人2人と「NPO Hug Hawaii」を立ち上げたことが大きかったですね。大切な人を失ったことによる悲しみ、喪失感を共に分かち合い支えあう、そんな援助の手をさしのべることを目的としたNPO活動は、まさに私たちだからできることで、共に運営する友人なしには成り立ちません。
最近では「ハワイ散骨クルーズ」というハワイの海に遺灰を撒くツアーのコーディネートもしています。
子供達が巣立つまではハワイに住みたい
走ることの喜びを知ってから、昔の元気な自分に戻ることができました。今年は個人でトライアスロンに初挑戦の予定です。日本にいたら体験できないような事を経験できるハワイに感謝し、子供たちが巣立つまでは住みたいと思っています。
お気に入りの場所は「マキキ・ハイツ」のハイキングコース
最後にハワイでのお気に入りの場所を飯島寛子さんに聞きました。
心が疲れている時とか考え事をしたい時など、森林浴をしながら力もらえる癒しのスポット。
Makiki Valley Loop Trail
Makiki Valley State Recreation Area, Honolulu
※この記事は「ハワイに住む」マガジンVol.6(2011年7月)の記事を元に作成しています。