ハワイとの繋がりは、NHK勤務だった父親がワシントン総局に駐在していた時。日本に帰国するときハワイに立ち寄って、僕は6歳でした。子どもながらに「ここは天国だな」と感じたのを憶えています。ビーチで砂遊びをしたくらいなんですけどね。
その後は、大学時代に米国の演劇アカデミー(Americanacademyoftheatricalarts)に2年間留学した帰りにハワイに来ました。当時は監督や演出家を目指していたのですが、世界レベルの製作者、俳優陣を見て、ショックを受けて帰りました。はっきり言って、挫折です。とても勝負できない。逃げるように帰国する時、ハワイに立ち寄りました。
ひと月くらい安ホテルに滞在して、ビーチでぼーっとしていました。でも、この時間が私の転機になったんです。人生について、じっくり考えました。考える時間しかないからね(笑)。それで米国への憧れにケリをつけて、日本に帰る決意をした。自分の中では、ハワイが転換点。進学校に進んで受験してごく普通だった僕が、演劇の世界に向き合う決意をしたんです。
帰国後、すぐに「演劇集団円」の養成所に入りました。渡辺謙さんが3つ下の代に入ってきましたが、橋爪功さんに「石田はめちゃくちゃだなあ。でも、俳優としてはそれでいいと思う」と言われたのをよく憶えています。デビューは、NHKのドラマ「あめりか物語」。日系人で英語が話せる役だったんですが、オーディションを受けたら、他の俳優より英語の発音が良かった。俳優の道を開いたのは、米国での経験だったんですよ。
俳優デビュー後もハワイとの繋がりは続きました。ドラマの撮影って、1クールが約4ヶ月。終わると「よし、ハワイへ!」ですよ。0泊とか1泊とか、そんな滞在もありましたから、むちゃくちゃですね。ハワイに家を持っている知り合いから「今ハワイにいるんだけど、来なよー」なんて言われて、ゴルフ仲間を誘って成田空港に行って「ハワイに行きたいんだけど」ってカウンターに行ってチケットを買う。
とにかくハワイは楽しかったですね。グルメも楽しんだ。アラン・ウォンズ、ラ・メール、ミシェルズとか、80、90年代のハワイグルメのレベルアップはすごかった。ラ・メールのスモークサーモンは本場のパリより美味しくて、それを食べにハワイに来たこともあるくらい。ステーキも、やっぱり当時の日本と比べたら段違いでしたよね。和食レストランも「和さび」には何度も行ったなあ。ハワイは今もグルメはどんどんアップグレードされて、食べ歩くのは楽しいですね。
改めて考えたら、ハワイには200回以上は来ているんじゃないかな。僕が行くと「じゃあ、俺も行くわ」なんて言って友だちが来る。「港区ハワイ」と言われることもありますけど、日本からのメンタル的な近さは、まさにそんな感覚ですね。
高層階より低層階が好きですね
ヤシの木を眺めて居眠りが最高
滞在中はあんまりガツガツせず、早起きして午前中はプールサイドでゆっくり、午後は機会があればゴルフ、夜はディナー。ホテルに泊まる時、僕は高層階より1階、2階が好きなんですよ。目の前でヤシの木が風でそよぐような場所で居眠りするなんて最高ですよね。タワーよりヴィラがいいな。不動産を持ったことはないんですよ。チャンスは何度かあったけど、そこまで乗り出せなくて。今思えば、買っておけば良かった(笑)。
それだけハワイは身近だったから、コロナ禍で来られない時期は辛かったな。ようやく今年1月にソニーオープン観戦に訪れたのが4年ぶりでした。この空気を吸ってすごくリフレッシュしましたね。よくヨーロッパが好きなんですよねと言われるんですけど、僕にとっての一番はハワイなんですよ。友人と会う場所でもある。今回ワイキキにオープンした「STIXASIAワイキキ」のオーナー、高橋社長もゴルフ仲間で、オープニングイベントがあると聞いて、駆けつけました。
実は僕も日本で飲食店を経営していて、日本のグルメ文化のレベルの高さを米国に伝えるのは大切なことだと思います。米国で頑張る高橋社長のような人を応援します。「STIX」はアジアと日本のグルメを上手に融合していますね。どこか懐かしさもあって、ハワイに来る時は必ず立ち寄る場所になりそうです。
ハワイに移住?もちろんしたいけど、僕ら俳優は日本にいないと稼ぎがないから。でも、ゴルフ場の横の邸宅とか、のんびりできる拠点が欲しいですね。庭で昼寝して、夕方ハーフラウンドなんて生活に憧れます。でも、下の子どもはまだ4歳。当分は引退できないから、ちょっと無理かな(笑)。
これからもハワイとの付き合いは続きます。いくら想像しても、来ないと良さがわからないのがハワイ。300回でも400回でも来るつもりです。
(このスペシャルインタビューシリ―ズは、「ハワイに住む」マガジン53号より再構成しました。)
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