今年は20周年記念大会!
主催会社アスロニア代表の白戸太朗さんにインタビュー
ホノルルトライアスロンは「ホノルルマジック」が生んだ 唯一無二の大会。 これからも大切に育てていきます。20周年を迎えて一番嬉しいのが、毎年恒例のイベントとしてすっかり定着したことです。皆さんの中で当たり前の年中行事になっている、生活の一部になっているのが感慨深くて。それこそ私がスポーツナビゲーターとして提唱している「スポーツで人生を輝かせる」という想いの具現化でもあります。
もちろんゼロからイチにする、始めるというのは大変でした。我々の運営をスタートするにあたり、権利元との交渉、資金集めと多くのかたにお世話になりました。今はこの大会の最大の魅力になっている「ハワイ」「ホノルル」という特性も、ことビジネスという側面から見れば島特有のイレギュラーが頻発し苦労が多かった。けれど、選手時代に培ったハワイでの人脈、ローカルの知人たちがバックアップしてくれました。感謝しかありません。この大会の勝利は、何より人に恵まれたことだと思っています。
その後は、1回1回一所懸命にやるだけ。今思えば、始める苦労と続ける苦労というのは全く別物なんだけれど、どちらが大変か単純に比較できるものはないですね。努力の種類が違う。形が見えているものを継続するというのも結構ハード。20周年まで続けられたのは、改めて協力してくれる皆さん、参加されている皆さんのおかげと実感します。スタッフもお客様も素晴らしいので、本当に良い雰囲気の大会になっています。
正直、ここまで続くとは思っていませんでした。「トライアスロン界のホノルルマラソンにしよう」というコンセプトがスタート当初からあり、その目標は達成できている気がします。この大会でトライアスロンデビューした人たちは本当に多いですし、ホノトラでデビューして日本国内の大会にたくさん出場した人たちも、「この大会は特別」と戻ってきてくれる。やっぱりそれは、ホノルルという土地の力だと思っています。僕らは「ホノルルマジック」と呼んでいますが、ホノルルでなかったらこんなに続いていなかったし、こんな大会にはなっていませんでした。トライアスロンというハードルの高さを、ホノルルがうまく中和してくれた。そんなイメージです。ホノルルだから出場した、ホノルルだから完走できた、そんな人が多いのです。
初心者の多さはホノトラの特徴で、自慢だと思っています。毎年300人ほどの日本人初心者が出場したとして、20年なら6千人ですからね。そう考えたら、やっぱりすごいことです。みんなこの大会と共に年をとって、「今度は孫と一緒に出場します」なんて参加者もいます。そんな言葉を聞くと、本当に感慨深いです。今回インタビューしていただいている宮本さんもそうですが、トライアスロンで人生を輝かせている人、人生を変えた人がたくさんいることは我々の誇り。それこそが我々の当初からの目標でしたから。
今回の20周年大会のテーマは、「子供たちの未来へ。」です。どんな世代にも、子どもにもおじいちゃんにも、それぞれの“トライアスロン”があるはず。お仕着せではなく、自分が楽しめればそれでいい。そんな大会がホノルルトライアスロンなのです。
コースの整備をはじめ、まだまだ改善点も多いですが、アラモアナ公園マジックアイランドのあの熱気、あの雰囲気こそがホノトラ。唯一無二のこの大会を大切に、これからもずっと育てていきたいです。
1966年京都府生まれ。プロトライアスリートとして、日本人で初めてワールドカップを転戦。世界を舞台に活動後、トライアスロン普及のため(株)アスロニア設立。ホノルルトライアスロンを主催し、自身も毎年レースに参加する。現在はスポーツナビゲーターとして「スポーツで人生を輝かせる」ライフスタイルを広める活動に従事。2017年から都議会議員としてのキャリアもスタートした。
参加者のリアルストーリー
「私が挑戦する理由」行政書士 宮本絵理さん
2014年のホノルルトライアスロンが私の初トライアスロンでした。それまでもアスリートだったのだと思われるかもしれませんが、実は、前年のホノルルマラソンに出場したのが私のアスリートデビュー。それまでは全く文化系の人間で、ほとんど運動する習慣はありませんでした。学生時代は吹奏楽部です。
ホノルルマラソンに出場したのは、20代最後の想い出づくりのような感覚でした。ハワイは好きですし、制限時間もないし、旅行がてら軽い気持ちで出かけました。その当時は輸入卸の会社でOLをしていました。そのホノルルマラソンのツアーが、アスロニア代表の白戸太朗さん(前ページで紹介)が帯同するツアーだったんです。現場で出会った白戸さんのオーラがすごくて。この人何やっている人なんだろうと思って調べたらトライアスロンという種目が出てきた。マラソンも完走したことだし、トランスロンも楽しそうだなって勝手に思い、次年度の挑戦を決めました。
マラソンを走った時、その気持ち良さと言ったらなかったです。それまで観光で来ていたハワイとはまったく別の世界が広がって、ハワイの環境の中で走る楽しさに魅了されてしまいました。これがトライアスロンになったら、どんな感覚になるのだろうという興味も湧きました。もともとスポーツをしていなかったから、どれくらい大変かとか、そんな心配は皆無で(笑)。白戸さんのオーラに衝撃を受けて、そっち側に行きたい!って直感しました。私、直感で動く人間なんです。これと思ったら直進あるのみ。トライアスロンは私の人生をきっと豊かにしてくれるという直感がありました。
日本に戻ってさっそく、アスロニアのトライアスロンチームに参加。皆さん陽気で楽しい人たちばかりで。そんな仲間たちの魅力も、私の背中を大いに押してくれました。この仲間とはやく挑戦したい!トライアスロンやってみたくてしょうがない、すぐそんな状態になりました。
そして迎えた初めてのトライアスロン。完走した喜びというよりも、不思議な高揚感をおぼえました。何よりも、楽しかった。もうこの種目は、私の人生の一部だなって、これも直感しました。
それ以降、日本各地のトライアスロンの大会にエントリー。ハワイではセンチュリーライドにも挑戦しました。2016年に2回目のホノルルトライアスロンに出場。この時の高揚感も変わらず、最高でした。
ホノトラ以降、私の人生は激変しました。2016年に結婚して18年に第1子を出産。その育休中に思うところがあって行政書士資格の勉強を始めました。20年に第2子を出産。行政書士試験に合格して、21年に現在の事務所を開業しました。
トライアスロンを始めてから、ハードルを乗り越える、自分に負荷をかけるというのが癖になってしまったようで(笑)。スポーツだけでなく、仕事や生活においてもどんどんチャレンジしていく、そんな体質になりました。ホノルルでの強烈な成功体験が私を変えました。 現在は2児の子育てをしながら個人事業をしています。ホノトラ以前の私からは想像もつかない環境です。トライアスロンの練習も再開し、今年は東京マラソンにも出場して、4時間をきりました。この勢いで、ホノトラの20周年大会に出場します。久々のトライアスロンで、とても楽しみです。家族みんなでハワイに行きます。
トライアスロンは私の生き甲斐で、やらないと私が私らしく生きていけない。そこまで思っています。家族は半ばあきれながら(笑)、協力してくれています。トライアスロンを続けられるのは、本当に幸せなことです。これからも人生のステージに合わせてのんびり長く続けていきたいと思っています。