セントラル パシフィック バンク(CPB)国際部シニアバイスプレジデント/ゼネラルマネージャー 宇津木 光さんにインタビュー【ハワイで活躍するビジネスパーソン】 

セントラル パシフィック バンク(CPB)国際部シニアバイスプレジデント/ゼネラルマネージャー 宇津木 光さんにインタビュー【ハワイで活躍するビジネスパーソン】 

更新日 2024.08.19

戦後、日系二世により設立されたのが​セントラル パシフィック バンク(CPB)。 その銀行に、日本のメガバンクでのキャリアを活かし、ハワイで活躍する人がいる。 自身が幼少時に米国で教育を受けた経験から、マイノリティのために尽くしたいと語る宇津木さんにハワイビジネスの展望を伺った。
 

セントラル パシフィック バンク(CPB)国際部シニアバイスプレジデント/ゼネラルマネージャー 宇津木 光さん

プロフィール
宇津木 光さん(​​​​​うつぎ ひかる)
1967年北海道生まれ。すぐ東京に移り、9歳でシアトルへ移住。中学卒業後に帰国し、国際基督教大学(ICU)高校、上智大学外国語学部に進学。90年に大学卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。主にIT事業畑を歩み、2012年から香港、ロンドンに駐在。2017年からグローバル金融犯罪対策部。2020年、転職する形でハワイのセントラル パシフィックバンク入行。現在に至る。
ハワイと共に歩んだ70年の歴史の重み
自分のようなマイノリティを全力で支援したい

  セントラル パシフィック バンク(CPB)はハワイで日系二世により設立され、今年70周年を迎えました。移民が融資を受けることが難しかった時代にマイノリティにフレンドリーな銀行として設立され、地域コミュニティに尽くして70年。実は私には、この銀行の姿勢にとても共鳴する、ある事情があるのです。

  転勤族の父親の都合で9歳でシアトルに移住しました。現地の学校に日本人は私だけ。周囲もどう接して良いかわからないような状態でしたが、先生が全力でサポートしてくれました。おかげで半年足らずでコミュニケーションできるようになりましたが、母親が行事などで日本文化を広める努力をしているのを見て、自分たちがいかにマイノリティなのかを実感しました。

  高校進学を機に日本に戻り、仕事のキャリアも日本でスタートしましたが、常に「海外で何かをしたい」という想いがありました。ところが、外国為替専門銀行だった東京銀行が1996年に合併して東京三菱銀行になり(その後2006年に三菱東京UFJ銀行、2018年に三菱UFJ銀行に移行)、国内勤務が続きました。必死に人事部に希望を出し続けて、ようやく2012年から香港、ロンドンに駐在。仕事はキャッシュマネジメント(資金管理)、トレードファイナンス(貿易金融)です。とにかくせしくて、現地のビジネス慣習に戸惑いながら海外生活に奮闘する日々。でも、1つ1つの出来事が興味深く、新たな発見が多くありました。

  2017年に東京に帰任。引きつづき海外勤務を希望していたところ、ハワイの銀行で海外勤務経験のあるバンカーを探しているという話を役員から知らされました。これしかない!と両手をあげて飛びつきました。ハワイで結婚式を挙げた時に「いつかここで働けたら最高だね」と笑っていた夢が期せずして叶ってしまった。でも、ハワイに面接に来たのが、2020年1月。なんとか内定をもらいホッとしていたら、コロナ禍に突入です。ビザの発給が遅れて、ようやく着任したのが2020年の12月。ロックダウンで疲れたワイキキと、対面で人と会うことがままならない社会が待っていました。

  しかし、そこはハワイ。銀行の関係者や地元社会の皆さまが本当に温かく迎えてくれ、サポートしてくれました。弊行名誉会長のポール与那嶺に同行して州知事と日本に行ったこともありますし、政界、財界に知遇を得ました。CPBは、空港の名称にもなっているダニエル K イノウエ連邦上院議員が復員後に日系人やマイノリティのために作った銀行。中小企業に優しく、今も「ほかの銀行に断られたけれど、CPBに救われた」という声をよく聞きます。その伝統は、確実に受け継いでいかないといけません。
 
70周年を祝うパーティにて。
第100歩兵大隊軍人協会のJan Sakodaさん(左)と
Kathi Hayashiさん(右)と。


 銀行業務としては預金額を増やし着実に融資していくことが主業務ですが、その先にはいつもハワイ経済の発展、地元社会の振興を目指しています。再生可能エネルギーの実証拠点にすること、火山を利用した地熱発電、水素燃料の開発、鉄道駅周辺の開発、アフォーダブル住宅など、やることは山積み。どれも銀行の使命だと思っています。

 最近では、ハワイの産業を日本に紹介する事業や、東京スター銀行と提携してハワイの企業が日本で口座開設できる仕組みを作りました。全てのページを日本語で読めるウェブサイトもハワイでは当行だけだと思います。これからも“かゆいところに手が届ぐ”きめ細やかなサービスを心がけていきます。

 思えば、シアトルの幼少時から、海外でさまざまな人に助けてもらい、その度に人々の優しさに触れ、新たな気づきを得てきました。これからは、自分のようなマイノリティを海外で支援するのが責務。残りの人生は恩返しのつもりで取り組んでまいります。

Member FDIC

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